加藤一也
成行ミチ子
立澤和博
タニモトユキコ

Kazuya Katou
加藤一也
  1960年 4月27日 世田谷生まれ
172cm 57kg A型

明治学院高等学校から明治学院大学文学部仏文学科に入学。
1981年明学劇研で芝居の道に目覚め大学を中退する。
劇団「レクラム舎・赤石スタジオ」を経て、1983年劇団「転位・21」に入団。
1987年退団後「転位・21」の新人達で結成された「不可視樹」に参加。
1989年には再度劇団「転位・21」に入団する。
1992年「ぼくは17才」を最後に「転位・21」を退団。
1994年劇団「13号地」旗揚げをした。13号地作品すべての作・演出を手掛ける。

脚本家、故・井手雅人(主な作品に「点と線」「鬼畜」、また数多く黒沢明作品での共作を手がけている。)は叔父である。
高校生の時、井手さんの家で黒沢監督とあったことは、今でも大切な思い出だ。



スポーツ → 剣道(子供のころから剣道一筋だった。)
         オフロードバイク(現在、片目が見えないため乗っていない)
        
嗜好    →歯が折れそうな位堅いおせんべい(歯ごたえのあるものが好み)
        お酒ならなんでも・タバコ 


2010年9月11日15時3分永眠。
     ■主な出演
   
作品 年暦 劇団 劇場
『ゼロの神話』 1984年 転位・21 下北沢ザ・スズナリ
『ホタルの栖』 1984年 転位・21 下北沢ザ・スズナリ
『ホタルの栖』 1985年 転位・21 札幌演劇鑑賞会道新ホール
『水の柩』 1985年 転位・21 紀伊国屋ホール
『ジロさんの憂鬱』 1986年 転位・21 下北沢ザ・スズナリ
『舗道の女』 1987年 不可視樹 池袋フリーク
『青ざめたモモ』 1988年 不可視樹 田端ディプラッツ
『1/2の少女』 1989年 転位・21 本多劇場
『ホタルの栖』 1990年 転位・21 下北沢ザ・スズナリ
『骨の鳴るお空』 1991年 転位・21 下北沢ザ・スズナリ
       〃   〃     〃 名古屋七つ寺共同スタジオ
       〃   〃     〃 大阪近鉄小劇場
       〃   〃     〃 東京アレーナホール
       〃    〃     〃 下北沢駅前劇場
『ほくは十七才』 1992年 転位・21 下北沢ザ・スズナリ
『同志』 1994年 13号地 大塚ジェルスホール
『舗道の女』(演出のみ)  1995年  13号地   下北沢オフオフシアター 
『ショッキングブルーパラダイス』 1996年 13号地 江古田ストアーハウス
『ジプシーな夜になれ!』 1996年 13号地 下北沢オフオフシアター
『象の墓』 1998年 13号地 下北沢『劇』小劇場
『月が消えた夜に』 2000年 13号地 下北沢『劇』小劇場
『横恋ぼうず走り雨』 2004年 劇団R+1 シアタートラム
『雨のワンマンカー』 2004年 劇団R+1 シアタートラム
『刺殺遊戯』 2004年 劇団R+1 シアタートラム
『仙人がくれた不思議なずきん』 2004年 劇団R+1 シアタートラム
『Run and Run』 2004年 マジカルフラッパー アートスペースサンライズホール
『鳥たちのかくれ処』 2006年 13号地 下北沢『劇』小劇場
『月が消えた夜に』 2007年 13号地 アートスペースサンライズホール
『瓦礫と勲章』(演出のみ)   2008年   13号地  下北沢小劇場楽園 
 『此処より先へ』  2009年  13号地  シアターバビロンの流れのほとりにて 
『蝉の穴』 2010年  13号地  シアターバビロンの流れのほとりにて  

■外部演出

作品 年暦 劇団 劇場
『子供の芝居』 1993年 劇団「華」 不明
 
  
office@13goochi.net


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